阿部広太郎さんの「心をつかむ超言葉術」を読んだ。
著者の「阿部広告太郎」さん。
自分でかき分けながら道をつくって、電通でコピーライターをされている。
ある日、気分転換に…のつもりで、読んだ全文公開をきっかけに、
私はその道に出会った。
伝わらないのは、辛い。
骨と心と、ダブルでいっぺんに折れるから、痛い。
この本には、言葉を伝えたいと迷子になり、星を探す人のために、
言葉づくりの流儀が綴られている。
断言する。
心をつかむ言葉は
つくることができる。
コピーライターによる、
コピーライターでない人にもひびく、阿部さんの人生のストーリー。
だから、私も手に取った。
阿部さんの人生に、再現性はないけれど、
再現性があるから、共感するのだろう。
私の共感する理由を3つ、書いてみようと思う。
1. 言葉を破る
私は建築の設計をしている。
独立して10年経って、限界を感じた。
よりどころを求めて、学位論文を書くことを決めた。
大学に戻ったその年に、妊娠。
学位論文は娘4才の年に書き上げ、博士号を取った。
見えた光を一つにまとめたくて、今「企画」を温めている。
時間切れで、在学中に終えられなかった、
学位論文の内容を学会投稿する作業にも、取り組んでいる。
なんだかこの頃は書いてばかりだ。
長文化する。
つながりが見えにくい。
書くことの悩みは尽きない。
このお盆も、学会論文の修正に七転八倒していた。
この本は、こんなエピソードから始まる。
夏目漱石は「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳したとか。
今のあなたなら何と訳しますか?
ご自身のコピーライターの養成講座で、
言葉の伝え方を考える入口に用意された、翻訳のお題。
愛という言葉を使わないからこそあふれ出す、情景や心理の数々。
そんな個性的な「I LOVE YOU」の数々が紹介されている。
書かずに伝えること。
一見矛盾しているようにも感じるこのことこそ、心をつかむ言葉の秘密なのではないか。
僕は決して大げさでなくそう思っている。
ここが、私が共感したことの一つ目。
「愛」を伝えたければ、「愛」という言葉を疑ってみる。
ここがスタート地点だと言われたことに、ぐっと来た。
では、どうしたら伝わるのだろう?
考えはじめるその前に「伝わる」って何だろう?
自分なりの定義「マイ定義」を考えたい。
「大事なことは2回言いました」というフレーズがあるが、
この本では「定義しよう」と再三再四繰り返す。
さまざまな捉え方ができる言葉でも、マイ定義を持つことで、
輪郭がはっきりする。向かうべき先を定めることができる。
ゴールがわからないままひたすら走っても、永遠にゴールできないように、
「伝わる」に対する定義を持たなければ、「伝わる」なんてありえない。
自分の思い込みに隠れた、足もとに目を向けない限り、言葉は伝わらない。
私自身にも、このことを実感するできごとがあった。
私の学位論文は、「文化的景観の関係性」というテーマだ。
文化的景観は新しい概念。動画的で、説明がちょっと難しい。
地形や風土との関わりの中で、淘汰・継承を繰り返してきた人間の生活。
それを超えて受け継がれたものが今、景観となってあらわれている。
たとえば、パルテノン神殿みたいに建物がすごい!のではなく、
石見銀山や、熊野古道。人間の生活と大地の軌跡に光をあてている。
文化的景観「でない」景観を挙げる方が、簡単かもしれない。
たとえば、大手の資本が一気に開発したような場。
限られた人の手で瞬時にでできた場は、文化的景観になりにくい。
私の学会論文の1本目は、査読という専門家の試し読みで修正を要求された後、
内容が到達点に達していなかったという理由で不採択になった。
学位を取得するためには、学位論文を書く。
そして内容の一部が、学会でその筋の専門家に批評を受け、
発表されなければいけない。
結局、私の初の学会論文は、1年半かかって落ちた。
今なら落ちた理由が分かる。
実は、修正の途中で、自分でも分からなくなっていた。
「景観」って、何?
落ちてはじめて「景観」という言葉の由来や定義にあたったのだ。
広辞苑のしょっぱなの定義が、「けしき」「ながめ」「美しさ」。
落ちたときは、一般的な認識のこの意味でしか、捉えられていなかった。
でも調べてみると、景観には、風景、景色、景域、似た言葉がたくさんあった。
造園学、地理学、建築学、土木学と、学域によって、定義も違った。
なぜ?
景観という概念が、もともと日本になかったからだ。
景観は、ドイツ語の「Landshaft(英語のlandscape)」の翻訳。
「土地(land)」「形作る(shaping)」を組み合わせた言葉。
この言葉のルーツから来た景観のもう一つの意味、「地域」「共同体」。
同じ場を見て、同じイメージを持つ人の集まりを景観と捉えている。
そうか、景観にはこんな意味があったのか!
たとえば、京都で考えてみる。
京都という場があるから、人は京都を見ることができる。
同じ京都を見て、好きだなぁと思う人、あんまり・・と思う人、
全然好きじゃない!という人、いろんな人が出てくる。
すると、京都を好きだと思った人が、京都にあつまる。
京都好きが集まりはじめると、今まで京都を見たことのなかった人たちも、
あつまった京都好きを見て、京都が好きになる。
京都にもっと人が集まる。
そして、最初に集まった人、次に集まった人、その次の人・・・
歴代の京都人の生活が積み重なって、京都というまちの風景をつくる。
それが、私たちが京都の景観と呼ぶものの正体。
建物だけでなく、地形や、人間の生活だけでもなく。
そのすべてを、景観と呼んでいたのか!と分かった途端、
文化的景観という言葉が、すーっと腹落ちした。
これが、私のブレイクスルーのきっかけだった。
振り出しに戻った私初の学会論文は、2年以上かかってやっと受理された。
そして、その年の182編中8編に送られる、優秀論文賞に選ばれた。
霧がかかっていると思い込んでいた視界の霞は、眼鏡の曇りだった。
思い込みの眼鏡を外して顔をあげた途端、
ぱあっと明るい光が差し込むような体験だった。
2. 言葉から離れる
コピーを書くとは、言葉を「企画」すると言えるのではないか。
阿部さんによる、「企画」のマイ定義がつづく。
企画とは「幸福に向かう意志」である。
シンプルにすると「→(矢印)」だと考えている。
今、「現在地A」にいるということを知ること。
そして、これから向かいたい「幸福B」を企む。
A→B。AではなくB。
幸福に向かう意志を持ちながら、
企み、そして文字通り、画にして実現する。
私の二つ目の共感ポイント。
ありきたりの言葉から離れて、
新しい言葉に向かう意志と勇気。
「企画」の可能性を信じて、相当なエネルギーが注がれている。
企画書を書きはじめたきっかけとして、
こんなエピソードが紹介されている。
コピーライターになり、丸3年が経った頃のことだ。
刺激的な毎日だった。
コピーライターの登竜門である東京コピーライターズクラブの新人賞を頂けた。
東進ハイスクールのCM「生徒への檄文」篇の制作に携わり、
林修先生の「今でしょ!」が話題になる。
そして、新語・流行語大賞を撮るまでの過程を目撃することもできた。
言葉の可能性ってすごい。
そう思いながら夢中になって働いていた。
任せてもらえる案件も徐々に増えていった。
でもある日、終電の時間が近づくオフィスで、ふと思った。
「朝早く起きて、夜遅く帰る日々で、僕は何のためにがんばっているんだろう?」
もちろん充実感はある。
広告が世の中に広まっていくことはとても嬉しい。
何ものにも代えがたい喜びがある。
でも、ピストルの号砲が絶え間なく鳴り、
目先のゴールに向かって短距離走を繰り返しているような感覚があった。
もしもこの生活がずっと続くと考えたら、なんとも言えない虚しさがこみ上げてきた。
なんとも言えない虚しさ。分かる気がする。
私も短距離走を卒業したかった。
そしてこの短距離走は、
阿部さんや、私だけのものではないんだと思う。
修業時代、私は東京の建築家のアトリエで働いていた。
東京の仕事はほとんどしたことがなくて、
主に地方の公共施設を担当していた。
一番長く関わったのは、静岡の市の生涯学習施設。
体験(ワークショップ)をベースに、
ものづくりやスポーツ、食、演劇や音楽といった、
さまざまな用途が一つになった施設だ。
同じ条件設定のもと、数名の設計者を競わせてクライアントが選ぶ、
コンペ=設計協議で勝ち取った仕事だった。
自分の設計したものが、「箱もの」と呼ばれるのが嫌いな私の先生は、
建築家は、中身=ソフトにも関わらないといけないという考えを持っていた。
事務所で、ぜひ中身をつくりましょう、
ワークショップをしましょう、と提案し、私がその担当になった。
現場の2年間を使って、地元の公民館を使わせてもらいながら、
月1〜2回ワークショップをした。他の事務所スタッフが図面を描くかたわら、
私は、食材を手配し、演劇のチラシを作った。
回数をこなすと、設計時に見えなかった、
地域の輪郭がうかびあがってきた。
静岡のものづくりと音楽。
徳川家のお膝元、駿府。東京と京都を結ぶ東海道の、たくさんの宿場町。
人やものの往来があったことで、静岡にものづくりの伝統が生まれた。
その熟練した技術を礎に、富士山の湧き水のような豊富な天然水資源が味方して、
楽器、バイク、繊維みたいな産業が誕生した。
木質系の楽器の製造には、湿度の少ないカラッとした気候が欠かせない。
ワークショップをして一番驚いたことは、
ブラジル日系移民の多さだった。
工場がたくさんあるから、働き手が集まる。
この移民層が、静岡のサッカー文化と溶け合う。
これからの静岡の文化を育てるために、
この新しい移民文化は欠かせないと思い、ワークショップに組み込んだ。
現場で小さな声を拾い上げ、建物にフィードバックしていく作業には、
学生時代に経験したことのない、新鮮な喜びがあった。
一方で、自分がすり減っていく感覚もあった。
みんなのための施設の「みんな」って誰?
最大公約数は、3, 6, 9なら、3、
5, 10, 15なら、5と決められる。
でも、3, 4, 8のときもあれば、4, 7, 19にもなった。
事務所の先輩が言っていた。
何百回もリハーサルをした後の劇場みたいに、
演者がいなくても、独特の熱い空気でいっぱいの空間。
場が立ち上がるとき、そんな空間ができていたら最高。
5万人が住む6000㎡の隅々を
そんな熱気でいっぱいにするのか・・・
身の丈にあった仕事がしたい。
そして、独立した。
住宅や店舗の仕事が入るようになった。
私の設計した住宅を気に入ってくださって、もう一軒!とおかわりしてくれた、
親戚みたいなクライアントもいた。現場が好きで、足繁く通った。
小さなものづくりは楽しかった。
でもある時思った。
なんだか、逃げてるみたいだ。
建築で一番大事な仕事は、建物の設計ではない。
脈を診るように、敷地の文脈を観ること。
本来は、ここから始まる。
目には見えないけれど、積み重ねられた流れ。
たとえあとかたもなく更地になった敷地にも、必ず何らかの痕跡がある。
だから敷地の文脈を読むこと。これが一番大事。
敷地の文脈が読めれば、流れをすくい上げるように、建築の骨格はおのずと決まる。
大きなストーリーに乗ることができれば、上物はささやかでいい。
でも。自分で事務所をまわし始めて、思った。
敷地の文脈を読むことは、仕事の外側にある。
現にクライアントは、敷地、予算、プログラムを、自分で決めて持ってくる。
大きな仕事では、設計者にではなく、コンサルに投げられる。
本当はその段階で、
どんな建物が建つかは、大体決まっている。
建築を設計する人間も又、
自分たちの仕事は、建物の設計をすることだと思っている。
そう、普通は、
建物をどうつくるか、それを考え実現することが、建築のデザイン。
建物の姿形を決めることに、価値が求められるからだ。
建築設計事務所の報酬は、建物の規模と手間で決まる。
めんどくさい申請をたくさん通して、難易度の高い構造形式で、
大きい物件を、最速でやる。
極論すれば、これが現行システムから導かれる設計事務所の理想的経営。
相場による出来高払いの報酬体系。
これは、建築業界に限った話ではない。
ライティングだって、漫画だって、イラストだって。
モノのスペックを上げること、それが「デザイン」?
「design」という言葉は、ラテン語のdesignōから来た言葉で、
「de(分離・除去・降下・否定の接頭辞)」と「signō 」の組み合わせ。
「signō 」は英語の「sign」。符号、記号。
つまり、デザインは、
今ある記号から離れることに、重きがあった。
「愛」を伝えたければ、「愛」という言葉を疑ってみる。
・・・阿部さんが言っている「企画」とは、
原語の意味するデザインそのものではないのか?
3. 道をつくるための地図
矢印を自分でつくるためにどうすればいいか、
言葉を企画する考え方を編み出した。
自分の「経験」から「本質」を見つけ出し、そこから「企画」を生み出す。
この企画の思考フレームは、3つの接続詞を使うことで劇的に考えやすくなる。
どうか活用してもらえたら嬉しい。
阿部さんのこの企画の思考フレームの図は、秀逸だ。
この本に共感した3つ目。
この道をつくるための地図。
私の図を足して、解像度をあげてみる。
言葉と建築の構造は、似ている。
言葉や建築は、単体では人に伝わらない。
文脈に流れる大きなストーリー。
その流れを借りてはじめて、人の心に伝わる。
その関係は、海に浮かぶ先端と、海中に隠れた氷山の関係に似ている。
たとえば「愛」という概念。
心から取りだし、人に見せることはできない。
だから「愛」という言葉を通して、お互いの心の内にある感情が、
共通の「愛」だ、と確かめることができる。
ご近所が友達で、世界の全てだった時代。
普段一緒にいるから、知らないうちに体験が共有されて、文脈になる。
言葉は文脈に乗って、小さくても、なんとなく伝わっていた。
言葉や建築は、ライフスタイルと共に、ゆっくり移り変わっていた。
やがて、小さなムラを超えて、言葉や建築を伝えたいという欲がでてくる。
体験を共有していない相手に、文脈抜きのなんとなくで伝えても、
伝わらない。どうする?
遠くのムラとも、体験を共有して共通の文脈を探しながら、
新しい言葉や建築をつくろうという人が出てきた。
でも、なかなかうまくいかない。
時間と、労力が、かかりすぎるのだ。
そうだ、文脈の力が借りられないなら、
言葉や建築を大きく、刺激的にしてみよう!という人が出てきた。
伝わらない人が多かったけれど、反応する人も。これはいい。
いざ、文脈が使えなくなってみると、
水面下にいちいち潜るのは、すごくめんどくさいことだったと気がついた。
だったら、新しい言葉や建築のスペックを上げる方にエネルギーを注いで、
文脈をカバーした方が、効率的だ。これなら、だれでも手軽にできる。
そして、みんなが言葉や建築を取っ替え引っ替えし出したら、
更新の必要がなくても、替えたくなる人が出てきた。
だから更新がどんどん早くなる。
目に見える部分に光があたり、スペックが競われる。
気づいたときには、
海から突き出す部分が、過剰な言葉や建築で溢れて、
海に崩れかかっている。
今、私たちはここにいる。
だから、鳥の視点からの、地図が必要なのだ。
阿部さんの図は、
これから私たちが、新しい言葉や建築をデザインするとき、
心に留めるべきバランスを示しているんだと思う。
新しい言葉や建築に飛びついて、文脈の更新をショートカットしない。
この図を見て私は、
海に浮かべることの可能な氷山の姿を、真上から俯瞰した地図だと思った。
書くWritingであり、光を当てるLightingでもある。
どんなに絶望的な状況でも、くまなく見つめていけば1%の希望はある。
そう信じてみる。だからあらゆる角度から物事を見てみよう。
光の当て方を探そう。
その1%に光が当たれば、そこから生まれる輝きはやがて、
じわじわと前向きな可能性を広げていくはずだ。
阿部さんは絶望していない。
SNS時代の今。
歴史的ないいとこどりをすれば、小さい声でも遠くにいる人にピンポイントで届けられる。
スペックを競わず伝えることができる。
阿部さんのこの地図に、道はない。
これは、道をつくるための地図。
現場に足を運べ、五感でよく考えろ。
うまく伝わらなくなった、言葉や建築を更新するとき
必要なのはまず、今ある記号から離れること。
目の前を覆っていたモノから離れれば、視界は開ける。
そのときこそ、この地図を片手に、道をつくるのだ。
この本は、次のように締めくくられている。
あなたの言葉を読ませてほしい。
「I LOVE YOU」をどう訳したかでもいい。
もしもこの本に感動したことがあれば、1行でもいい、書いてほしい。
僕が受け取る。ちゃんとキャッチする。
SNSで伝えてくれたら僕は読む。大喜びで読む。
Twitterで知らせてくれたら見逃さない。
本を閉じたらはじまる。
あなたの言葉であなたの心をつかもう。
そして、あなたの言葉で大切な人の心をつかみにいこう。
・・どんな熱血先生やねん。
じーんとしながら、心の中でそう突っこまずにはいられませんでした。
遅ればせながら私、教師のはしくれでもあります。
誠意ある宿題には、誠意をもって答えます。
私の 「I LOVE YOU」の超訳。
「母は黙って背中を見せる」です。
これは、学位論文執筆をやり切った理由。
娘が年頃になって、私が途中でやめたと知ったら、
なーんだ母さん、人には言うけど、自分はやめたんだ、と
何でも投げ出してしまう子になるだろう。
それだけは。その一心で書き上げた。
時々焦って、切ったまな板の野菜をごっそり床にひっくり返してしまうことがある。
一つ一つ拾って、大丈夫と言ってくれる、お母さんみたいな娘。
結局、親のできることって、
自分の背中を見せることぐらいなのかも。
今はそう考えています。
どこかにいる誰かの遠い背中を感じながら、道なき道を歩く。
迷ったら、私は鳥になってみる。
空から見れば、ごま塩みたいな点がいっぱい見えて
あなたの点も、道の一部になっているかもしれません。